スウェーデン 在宅勤務を続ける人達

 はかなく夏の余韻を残す、光につつまれた夕方近くのストックホルム、私は会社を出たあと、通常とは反対の方角に向かっていた。



 特別なことなどはなかった。

 ふだんとは違うスーパーマーケットに行ってみようと思っただけであった。

 単調な日々には多少飽きを感じていた。

 たとえ些細なことでも、そのような日々にスパイスを与えられることを見つけるようにしていた。

 ピリッとしたスパイスではなくともよい、ほんの些少な芳香を与える程度でもよい。


 脆弱ながらも温かい光を全身で享受しようと、立ち止まってみた。

 すると、5メートル先で、私と同様、立ち止まっていた女性が視界に入った。

 顔や表情は長い髪に覆われて見えなかったが、彼女が近くに来たときに顔が確認できた。

 以前の勤め先の同僚であった。

 


 南欧出身の彼女は気性が激しく、私たちは数度、意見の違いでぶつかったこともあったが、彼女の息子の彼女が日本人であったいうことで私たちは、時々、昼食を一緒にして話をした。


 「ちょっと聞いてくれる?息子の日本人の彼女ね、私の息子のことを、私に向かって罵倒して来たのよ!」、と激しい剣幕を見せていたこともある。

 その間、申し訳ないことだが、わたしは、シンパシーを見せるどころか、最近の日本女性は強くなったなあ、などと感慨にふけっていた。

 基本的に私たちは、外国人同士であったし、仲は良いほうだったと思う。


 「あなた、何処に住んでいるの?」

 「ここよ。そこのベージュ色のアパート」

  



 「そうなの。久しぶりに再会したのだし、今度一緒にお茶でもしない?」


 私は、本心とも社交辞令とも自分でも判断の付かぬ打診をしてみた。

 彼女は返答をする代わりに奇妙な表情を見せた。

 通常は鈍い私だがさすがに察した。彼女はかなり離れて話をしていた。


 「ひょっとして、感染を恐れているの?」

 「ちょっとね。今年の三月以来、出社はしてないの」


 今年の三月、七か月間、長い。

 私の関与する問題ではないが、彼女は徒歩通勤で交通機関は使っていない。知っている限りは持病もない。

 人を見れば誰にでも簡単に話し掛けるほど社交性のある彼女が七か月も在宅勤務をしている。

 さぞ不満を蓄積させているのではないかと思った。


 

 私がオフィスに戻る決心をしたのは8月7日であった。

 すなわち、スウェーデンにおけるCovid19に依る死者がゼロになった日であった。

 私はその日を一つの節目として職場に戻る決心をした。


 決心をした、とは言っても、私の場合はそれほどパラノイアに苛まれていたわけではない。
 自転車出勤であったため公共機関は使わずに出勤していた。たとえ、オフィスに行っていたとしても、人との接触はミニマムであったはずである。

 通常、食料を買いに行っても、他の買い物客と手が触れることなどは往々にある。
 オフィスにはほどんと人が居なかったため、そこで他の人と手が触れる機会などほぼ皆無であったはずだ。
 そのうえ、消毒アルコール液の不足が騒がれていた頃でさえ、オフィスには潤沢な消毒アルコール液が要所要所に設置されていた。






 それにもかかわらず、私も八月の初頭まで在宅勤務を続けていた。
 何故であろうか。
 今、思うに、私の場合は、ルーティン化しつつあった在宅勤務の習慣を断ち切るきっかけが、すなわち私の背中を押してくれる出来事が必要であっただけなのだと思う。


 しかし、私以外の同僚は未だに在宅勤務である。
 彼らが戻る時期の見通しはついていない。
 
 理由は様々であるが、一人を除いては、オフィスに通うためには公共機関を長時間乗り継いで来る必要がある人達だ。

 持病がある、同居人が病気がちであるか高齢である、在宅勤務の方が、病気の親の看病をするために都合がよい、犬の散歩をするために都合が良い、等の理由が考えられる。
 
 そうなのだ、彼らは知ってしまったのだ。

 果たして、在宅勤務の方が彼らの生活にとって都合が良かったということを。
 在宅勤務を行っても仕事のパフォーマンスはそれほど劣化しなかったということを。
 
 それでは、
 
 彼らは在宅勤務にともなう孤独感とはどのように対処しているのであろうか。

 その点もさほど問題にはなっていないようである。
 彼らには家族がいる。また友人と交流する機会もある。
 わざわざ公共機関を使ってオフィスに来て、赤の他人である同僚と交流する欲求を有していないのであろう。
 
 そして、彼らが在宅勤務を続ければ続けるほど、その習慣がルーティン化してしまい、それを打ち破ることは難しくなってくる。

 
 昨年の今時分、同僚達とボウリングの試合を企画して非常に盛り上がったことを懐かしく思い出した。あの晩の、皆の楽しそうな表情が目を閉じれば鮮明に脳裏に浮かぶ。
 

 モニターとキーボードの息遣いだけが感じられるオフィスで仕事をしていたのは、今日も私一人であった。


ご訪問ありがとうございました。




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