「貴方がマンションを購入した価格なら、郊外だったら一軒家が所有出来るわよ!」
と言って、もと同僚の、自称ペネロペ・クルス似の若い女性が、彼女の自宅とその近くの湖畔の写真を見せてきた。
「仕事帰りにこの湖畔沿いを歩いて、照り返しを顔全体で受けて、一日の疲れを癒す。これが人生よ。わかる?」
と、彼女は説く。
彼女の若さで人生の醍醐味を語れることは素晴らしい。
そろそろハロウィンの季節である。
去年のハロウィン時期、ペネロペ・クルス似は50人ぐらいを招待して、ワインボトルを6ダース注文して、モンスターパーティーを開催したことを記憶している。
招待客は全て、血みどろの白いルシア風のワンピースを着ていた。その集合写真を見せてもらった。
彼らは、庭にも十字架および墓石等の大道具で大演出をしていた。
同様の行事を催すことは、街の中心のマンションに住んでいる私には難しい。
夜のストックホルム中央駅 |
中庭があることはあるが、そこに50人の泥酔した血みどろ客を放ったりしたらマンション委員会から苦情がくることはほぼ不可避である。
中庭を利用しているのは二百世帯だ。
我が家でパーティーを催すとしたら、パーティーと言うよりは上品な食事という雰囲気になる。
隣近所に迷惑が掛かるのでどんちゃん騒ぎも出来ない。
最近、サイクリングのお供が出来たので、運動も兼ねて週末毎に長距離(私にとっては)サイクリングをするようにしている。
先日はApelvikenという名の高級住宅地まで足を延ばした。
そのエリアを以前にちらっと覗いた時も豪華な家が多かった。しかし、私がその時、目にしたものは高級住宅地のほんの始まりに過ぎなかったのだ。
今回は住宅地の奥の方まで行ってみたが、そこではため息ものの高級住宅が林立していた。
豪奢な家の最上階の大きなテラスに座って、沈みゆく夕陽の中でロゼワインのグラスをかたげながら、湖に浮かぶ帆船のシルエットを追う、このような贅沢を毎夕べ満喫できる。
「私が現在住んでいるマンションを売却したら、この界隈の小さい一軒家を購入できるかな?」
私は、思わずサイクリング友に同意を仰いだ。
「無理だと思うけど」
それでも、やはり気になってしまったので、家に戻ってから不動産検索サイトで調べてみた。
例によって撮影時間が三分しか与えれませんでしたのでかろうじて一軒のみ |
想像通り、手が出ない価格であった。
そのエリアでは日本円で一億円を下る家は少ない。
富裕絵巻に毒され、洗脳された秋の一日であったが、街中の小さいマンションに戻ってきてから安堵の息を付いた。
たとえ小さいマンションでも私は街中に住むことを渇望していたのだ。
神奈川県の田舎の一軒家に住んでいた私は、赤坂の職場に通うために、毎朝バス停まで歩いて、20分バスを待ち、20分以上バスに乗り、一時間以上、ハイヒールで満員電車に立ち続け、ギリギリセーフでオフィスに駆け込むという生活に辟易していた。
あるいは、それがスウェーデンに移った理由の中でも最大の比重を占めていたかもしれない。
よって、ストックホルムに移ったら、小さい所でもよいので、街の中心に住もうと固く決心した。
ペネロペ・クルス似の指摘したように、私のマンションを売ったら、中心街から一時間以上離れたところなら一軒家が購入出来るかもしれない。
しかし、通勤に一時間以上費やすことになるのならば、神奈川県の田舎に住んでいた時と状況はあまり変わらない。
おそらく車も必要になり、ものも増えるであろう。
苦手な庭仕事等もやらざるを得ないかもしれない。
一軒家の手入れは想像以上に大変なのであろう。
あのような夢の膨らむ家々を鑑賞してしまったあとは、その余韻と誘惑に負けそうになってしまいそうであるが、初心を忘れないようにしなければならない。
私はやはり街中マンション派に徹しよう。
皆さまはどちらでしょうか?
ご訪問ありがとうございました。
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