ストックホルム 富裕層と一般層のはざまにて

 その晩、女子会ディナーのレストランを予約するのは私の番であった。

 私はストックホルムのエステルマルム地区に所在する某イタリアンレストランを予約した。


エステルマルム地区の高級住宅地/在外公館

 

 ストックホルムの中心街(関内)はおもにエステルマルム(東)、中央駅のあるヴァーサスタン/ノルマルム(北)、ヴェステルマルム(一般名クングスホルメン)(西)、セーデルマルム(南)、王宮のある旧市街、ユールゴーデンに区分されている。


 エステルマルム地区は東京に例えれば港区南麻布、あるいは銀座というようなところであろうか。

 高級住宅地および高級ブティックなどが林立しているのもこの地区である。


 その晩の女子会ディナーのメンツは翻訳家、語学教師、言語学助教授等の女性の集まりであった。

 私を含めいずれも、経済的には一般層である。


 それでも私たちは楽しく会話に集中しながら食事とカーバを愉しんでいた。


 隣のテーブル席に若いカップルが腰を下ろすまでは。


エステルマルム地区の高級住宅地


 しばらくしてから私達の注意は散漫になりがちになり、会話も途切れ始めた。

 隣のカップルに注意が向いてしまったからだ。二人とも17、18歳ぐらいであろうか。


 隣に座って来たカップルは、男女とも、生まれた時から裕福な家庭で育ったというオーラを全身から輝かせていた。

 来ていた服は高級ブランドではあったが高級レストランに着て行くような着飾ったものではなく、どちらかというと近くのファストフードの店に行くような井出達であった。

 私の企画した女子会のメンツの中の何人かは最高に着飾っていた。


 そのカップルは巨大なビーフステーキを注文していた。

 私は、スウェーデンでそのような巨大なステーキにはお目に掛かったことがなかった。

 一人がそのメニューの価格を見た。

 日本円にして7千円ぐらいであった。

 二人はその肉を二口ぐらいほど食べて、ファンタを飲みながら話をしていた。話の内容までは聞こえなかった。

 そして、少年の方がカードで支払い、少女の方が、彼にいくらか現金を払っていた。

 その後、ほとんどの手つかずのビーフステーキを後に残してレストランを出て行った。

 皿を下げに来た給仕の男性は無表情であった。


 そのカップルが私達に何かをしたというわけではないが、私達のディナーの愉快な雰囲気は心持ち損なわれていた。


 

エステルマルム地区の高級住宅地

 

 「多忙にかまけて子供と一緒に過ごす時間が持てない親は子供をどう扱ってるか知ってるかい?」


 ある日、同僚が悪態を付きながら切り出した。

 「金をやるんだよ。せめての罪滅ぼしのつもりなんだろうが、金額が半端じゃないんだよ。二万円のおこずかいをあげている親も知っているよ、それも毎日だ」


エステルマルム地区の高級住宅地


 ある日、長女が遊びに来た。

 非常に憂鬱な顔をしている。

 理由は、友人の誕生会に招待されたからということである。

 それは楽しいことじゃない、と応じると、長女はこう続けた。


 「私の友人達の誕生会はね、プレゼントをあげるだけじゃないの。いつも入場料が掛かるところで、高価なディナー代も自分で払って、その上、プレゼントも上げなくちゃいけないの」


 入場料だけで一万五千円ぐらいが掛るという。誕生会一回に付き三万円ほどの出費を覚悟して行かなければならない、という。


 三万円と言うと日本の結婚式における友人からの祝儀並みである。

 さらに、長女はヴィーガンなのでそのようなところでは困ることもある。

 「他のレストランを提案したんだけど、招待客はみんなそっちの方に行きたいんだって。みんなお金持ちだから」


 私が自分の誕生会を開催するとしたら、食事は自分で用意し、プレゼント等は辞退している。

 ふだん、あまり会えない友人達と、この機会に会おう、という意味合いであるため、高価なプレゼント等をいただいたら却って恐縮してしまう。


 娘達にもそのような価値観に準じた教育をしてきたと思う。それがいま崩れつつある。

 

エステルマルム地区の教会/高級住宅地/在外公館


 
「その誕生会はとりあえず断わって、別の機会にプレゼントだけ渡すというのはどう?」

 「いいの。行くことに決めたの。でもその代わり、私の誕生日も最高級レストランで開催させてもらうつもり。あの人たちのレベルの生活に合わせなくちゃいけないのはきっと私の方だと思う。どうせ毎日のことじゃないし」


 それほどの葛藤と経済的破綻の危惧に苦しむのなら、自分と同等の価値観のある友人のみと交際していれば良いのではないかと、短絡的に思うのは、大富豪の家庭で生まれ育った知人と接する必要性が私には無いからであるかもしれない。

 

 この国には階級制度があるわけでもない。

 教育費がほぼ無料のこの国では、実力とやる気さえあれば、全ての人達に同等の学習の機会が与えられているはずである。

 そしてその同等の機会を享受し、スウェーデン王族が通った高校等に通い、富裕層の多い大学を卒業した長女を待っていたのは、果たしてそのような憂鬱であった。

 そのようなことは当初は誰も想像が出来なかった。


 このような葛藤はむろんストックホルムに限った事ではないであろうが、今、私達が現在進行形でこの葛藤を目の当たりにしている土地はここである。


 長女の価値観が今後、どのように変化してゆくかはわからない。しかし、最終的には、自分が一番、自分らしく適合できる場所に落ち着いて欲しいものだ。


 背伸びしながら生きてゆくのはとても堅苦しい。


最後まで読んで下さりどうも有難うございました。

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