女性政治家と言えば - アンナ・リンド外相が殺害された日の追憶

 米国においては、初の女性副大統領の就任が反響を呼んでいるという。


 私はそれを聞いて多少違和感を感じた。

 北欧は女性首相のオンパレードである。


冬のバルト海


 思いつくだけでも、

 ひと昔の人では、

 ノルウェーのグロ・ハーレム・ブルントラント首相。


 最近では、

 フィンランドのサンナ・マリン首相、

 デンマークのメッテ・フレデリクセン首相、

 アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相

 等、女性が活躍している。

 

 ノルウェーのブルントラント首相に関しては1981年の就任である。

 すなわち、北欧においては実に、既に40年間近く、女性の統治者が国家に君臨していたことになる。バイキングの時代までを含めると女性統治の時代はさらに遡る。

 

 不意にあることに思い当たった。

 ノルウェー、フィンランド、デンマーク、アイスランドと来たが、


北欧博物館


 そういえばスウェーデンはどうなのであろうか?

 二十年ほど、この国と一緒に生きて、いろいろな政治家の顔をテレビで見て来たが、女性首相の顔はどうしても思いつかない。


 スウェーデン人に確認してみたところ、

 「いやお恥ずかしいことで。男女平等を唱っているスウェーデンには未だに女性の首相は出現していないんだよ」

 という返答をいただいた。


 男女平等の国ならば、男性でも女性でも、実力さえあればどちらでも良いのであろうからお恥ずかしい、ということでもないのであろう。

 しかし、他の北欧諸国の傾向を鑑みると奇妙である。

 私の短い職歴から鑑みると、私が直属する上司は男性で、その上が女性、というパターンが多かった。


 歴史的に、次期首相の候補になった人、なりかけた女性の顔は脳裏には浮かぶ。


 とりわけ、

 

 アンナ・リンド女性外相の追憶は。


ユールゴーデン島の民族式建造物



 スウェーデンに移住したばかりの頃、スウェーデン語、あるいは公民の授業を受けていた朝のことであった。

 男性の講師は、開口一番に痛恨の表情でこう伝えた。


 「アンナ・リンド外相は八時間の救命手術の甲斐なく、今朝未明、カロリンスカ病院で亡くなりました。皆さん、一分間、黙祷をして下さい」

 その朝はまったく授業にはならなかったことを記憶している。


 アンナ・リンド外相は、おそらく、多くの人に愛されていたのであろう。

 スウェーデンの政治には明るくなかった私にでさえ、正体不明の悲哀と不条理感が覆い被さって来た。


 リンド外相は、その前日に、護衛を付けずにNKデパートの一洋装店にて買い物をしていたところを、見知らぬ男から突如、攻撃を受けた。

 カロリンスカ病院の精鋭群は、最後の灯が消える瞬間まであらゆる手段を尽くしたのであろう。 


 授業にならなかった授業のあと、家に帰ったら、当時の夫が電話で誰かと話していた。

 「大丈夫だよ。日曜日にはそちらに行くからあまり気落ちしないで。あまり悲しむとアンナも困ってしまうよ」


 私の姿が視界入った時、彼は受話器を置いて言った。

 「父さんは、アンナの小学生の時のクラスの担任だったんだよ。彼女をとても可愛がっていたんだよ。アンナが政治家になってからは彼女をいつも誇りにしていた」


 アメリカ同時多発テロ事件発生からちょうど二年後、すなわち2003年9月11日にヨーロッパを震撼させた事件であった。


北欧博物館


 殺害の動機に関しては、政治的意図であったのか、通り魔的な行動であったのか解明はされていない。



 リンド外相には直接、お会いしたことはなかった。

 しかし、大きな眼鏡を掛けた髪の長い少女が、陽だまりの中の教室で手を挙げて、ハキハキと発言していた姿は、目を閉じれば、想像出来る。

 おそらく、リンド外相の小学校の元担任の追憶の一部を、土の中に保管される前にシェアしていただいたおかげであろう。

 

 リンド外相が首相になっていたら、スウェーデンは果たしてどのような国になっていたのであろうか。




ご訪問ありがとうございました。



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